犬との暮らし

わたしのルーティーン~食事編~

 わたしが毎日過ごす中で、ルーティーンとも呼べるお約束が存在する。ルーティーンとは、「決まった手順」「日課」等、繰り返し行われる動作の事である。お決まりになってしまって、目新しさが無い、という残念な意味合いでは無く、わたしにとっては安心感を与えるものである。

母の主導権の下、次の行動を予測する。

 「子犬時代のお散歩の風景」の記事の中で、母はお散歩コースをランダムに決定する事で、主導権を握っていると述べた。色々な決定権をわたしに握らせると、わたしが要求吠え等をしたりして、統制が取れなくなってしまうという事態を回避する為である。コースだけで無く、お散歩の時間等も決定権は母に有り、その日その日で今何をするのか、という予定は母が決め主導権を握る。

 しかし、ひとたび「今何をするのか」が決まったら、「どう行動する」のかの予測は、わたしにも可能である。長年の生活の中で身に付いた経験が、教えてくれる。突飛な行動を家族に起こされるのでは無いので、わたしの心の準備も出来、それが安心感に繋がるのである。

食事のルーティーン

 毎日のご飯、わたしにとっては至福の時間である。ご飯の時の決まり事は、スヌードを着けられる事と、お薬を飲む事、歯磨きをする事である。

 ご飯の準備の前からわたしのスタンバイは始まる。母が台所に立ち、家族の食事を用意し始めると、「お、ご飯の時間はもうすぐだな。」とわくわくする。いつわたしの皿が取り出されるかと、母の行動を見逃すまいと台所に移動して、母の監視を始める。「何時でもご飯食べられるよ~。まだかな~。」という目力満載の念を母に送っている。

▲早くご飯を……。

 冷蔵庫からにんじんが出されると、今日はにんじんが貰えるのかと期待を込めて見守るが、そう毎度毎度にんじんにありつけないので、ぬか喜びしてがっかりさせられる事も多い。

 わたしが冷蔵庫とコンロの間に陣取っていると、母は冷蔵庫の引き出しを開け辛そうにしていて、「ちょっと退いてね。」と声を掛けてわたしを退かすが、直ぐに元の場所に戻って監視作業に戻る。

スヌード装備

 食事の支度を終えると、わたしの支度である。まずは、スヌードを着けられる事がご飯の始まりの合図なので、嫌がらずに着ける。「よし、来い!」と勇んでわたし専用のテーブルの前で、配膳がされるのを座って待つ。尻尾は勝手に動いてしまって、制御が効かないので、水の入った皿を撫でつけていても勘弁して欲しい。床を拭くのはわたしでは無いけれど。

▲配膳が済んだら、「よし。」の合図を待つ。

 喜びの余り、ご飯を一気にかき込んでしまうので、むせない様に数回に分けてお皿にご飯を盛りつけられる。少し時間をおいている間は、耳が蒸れない様にその都度スヌードを脱がそうとして来る。しかし、スヌードを外されたら、ご飯タイムでは無くなってしまう!

 脱がそうとする家族の魔の手から、スヌードを守り抜く為、思わず逃げてしまうわたし。けれど、「ハウス」の指示には最早条件反射で従ってしまうので、クレートに入ってしまい結局スヌードを奪われてしまう。

薬の服用

 悲しいかな、最近はご飯より先に、味も匂いもしない薬を口に入れられる。別に飲み込めるけれど、目の前にもっと美味しいご飯があるので、そちらが食べたくて偶にぺっと薬を吐き出してしまう。その度に薬を再度入れられて、飲まないとご飯が来ない事を知ったので、2度目にはきちんと飲み込む事にしている。ご飯が貰えないと悲しいから。

▲お薬も飲めるぞ!

歯磨き

 楽しかったご飯タイムの終わりは、歯磨きで締めくくられる。最後のご飯を配膳した後、母は歯ブラシに歯磨き粉を塗って待機している。わたしが食べ終わって振り返ると、良い匂いのする歯磨き粉を母が差し出して来る。さながらデザートを頂く様に、歯磨き粉を舐める為に口を開けたわたしに、母は歯ブラシを咥えさせ、歯の色々な場所に歯磨き粉を塗りたくる。何故一息に舐めさせてくれないのか……。人は何でも小分けにしたがるのだろうか。

▲歯磨き粉美味しい~。

 スヌードをすぽん!と脱がされたらお仕舞である。スヌードはご飯の象徴であるが、脱がされたら脱がされたで、開放感が堪らないので、床にころころころ~と転がってみたりする。

▲開放感!

 まぁ、満腹になって食欲が失せる、なんて事は無いので、もっと食べたい気持ちが治まらないわたしは、すぐにトイレに駆け込み報酬を強請るのである。1日分のご飯の量が決められている為、夜ご飯の歯磨きの後は、何をしても食べ物は貰えないが……。

おわりに

 洋服が苦手なわたしは、当初スヌードも苦手であった。スヌードが食事と結び付けられてからは、スヌード=食事=楽しい事がある、とイメージ付けされたので、寧ろ着けられるのを待ち望んでいる。

 お薬はまだ完全に受け入れた訳では無いが、その後にご飯がやって来ると思えば、些末な事である。歯磨きも、知らない物を口に突っ込まれるのは、最初抵抗があったが、毎日毎日繰り返して行く事で、「はいはい。いつものね~。」位に思える様になった。

 悪い結果が常に付きまとうルーティーンは、わたしも敬遠する様に学習してしまうだろうが、食事と結び付けられるルーティーンの学習は強化された。自分の望むものと結び付けられた行動は、受け入れ易くなるものである。また、習慣は一朝一夕に身に付くものでは無いので、長く続ける努力も必要である。

 

 わたしのルーティーンのお話は、こちらの記事でもご紹介しています。

わたしのルーティーン~散歩編~キャバリアの「わたし」の散歩の際のルーティーンをご紹介しています。...
3+
こちらの記事もおすすめ

COMMENT

メールアドレスが公開されることはありません。